「メンタル」が選手生活を支え、結果を引き寄せた
人生をより良くするための「メンタルコントロール」を伝えたい
16年間の選手生活を支えたのは「メンタル」
幼稚園の頃にサッカーを始め、中学1年生の時のJリーグ開幕をきっかけにプロサッカー選手を目指すようになりました。念願が叶いサッカー選手になってからは、毎日毎日チームを勝たせるためだけに努力をしてきました。
私のポジションはセンターバック(CB)でした。CBに必要なものは、速さ、強さ、上手さ、そして先を読む能力です。ディフェンスラインを統率するためには、これらを兼ね備えたリーダーシップが必要であり、なおかつミスやオウンゴール、失点などどんなことがあっても動揺しない強いメンタルも必要となります。
もちろんサッカーが好きで続けてきましたが、プロになってからはそれまでのように純粋にサッカーを楽しめず、いつからか仕事として取り組むようになっていました。それは、プロになると、期待や応援をしてくれる人がケタ違いに多くなったからです。
その中で、CBというポジションは当然のように良いプレーを求められ、ミスをしたらそれが敗因であるかのように言われます。例えば90分間良いプレーをしていても、アディショナルタイムでのたった1つのミスによる失点が敗因とされてしまいます。このように常にプレッシャーを背負い、ギリギリの精神状態で戦っているのがCBというポジションなのです。
私は大きくもなく、速くもなく、上手くもありません。それでも16年間にわたり、厳しいプロの世界を生き抜いてきました。決して恵まれてはいない体格でこれだけ長くやってこられたのは、苦しい時こそ楽しもうと心掛けてきたからです。メンタルを強く持ち、コントロールすることに長けていたからなのだと、今は胸を張って言えます。
初の戦力外が「メンタルを成長」させた
ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)でプロになり、さらにベガルタ仙台で3年間プレーした後に初の戦力外通告を受け、プロの厳しさを初めて知りました。新しいチームはすぐ見つかるだろうと思っていましたがなかなか見つからず、やっと契約できたのはJリーグの下のカテゴリーのJFL(日本フットボールリーグ)のさらに下、地域リーグの沖縄かりゆしFCでした。この頃はまだ自分の能力だけに頼っており、頭で考えることも少なく、「メンタル」の重要性になど気付いていませんでした。
この沖縄での「もう一度Jリーグに戻る!」と強く思いながらの経験が、メンタルを成長させたのだと思います。環境は大きく変わりました。グラウンドはボコボコ、シャワーなんてもちろんありません。プロ契約でありながら給料も安い。そんな中でモチベーションを保ち、Jリーグに戻りたいという気持ちを維持するのはかなり大変なことでした。それでも私は「とにかくどんな環境にいても、ポジティブに楽しむこと」を心掛けました。それが自分自身にできることだからです。下を向いてサッカー人生を歩んでいても良いことなんて一つもないでしょう。皆さんもポジティブに考えられた方が楽しいですよね?ポジティブな私が皆さまを引き上げ、ポジティブに考えるきっかけ作りをします。
どん底の時期も「強いメンタル」で前向きに
チームの方針変更により放出されて同じく地域リーグの静岡FCへシーズン途中で移籍しましたが、シーズン終了時に事実上チームがなくなってしまいました。プロになり初めて、まったくあてのないオフを過ごすことになってしまったのです。自ら電話をしてチームを探しながら、常にどこのチームへも行けるように一人で練習していたこの時期が、サッカー人生の中で一番のどん底でした。
何のために一人で練習をしているのかもわからないまま自分自身を追い込んでいましたが、決して下は向きませんでした。飲みにいくなど楽しむべき時は楽しみ、常に前向きに過ごしていました。強いメンタルを持っていたからこそでしょう。こうした経験や、試合で負けた時、ミスした時のリカバリーの連続が、310試合という出場数につながりました。これからは、皆さまが苦しい時にどのように考え、メンタルコントロールすればよいかをお伝えし、再び前向きな人生を送るためにサポートいたします。
良い結果は自分自身で「引き寄せる」
転機がやってきました。ヴェルディ時代にお世話になった岸野靖之さんがサガン鳥栖のコーチになり、その縁で練習生としてキャンプに加わり、入団することができたのです。Jリーグの舞台に戻ることができました。大切なのはチャンスが来た時にそのチャンスを掴むことであり、チャンスを掴む力によって人生は変わっていくと思います。私はその時々自分のできることをやってきたため、チャンスを掴んで入団することができました。実は当初は1、2年でクビになるのではないかと思っていましたが、そこからさらに10年にわたり、プロサッカー選手として3チームで契約を更新してきました。
この10年間を支えてきたのはやはり「メンタル」です。毎日の練習を全力でやり切りメンタルを保つことは、当たり前のことながら非常に難しいことです。この全力でやり切るための「メンタルコントロール」をどのようにするのか、私はその術を知り、やってくることができました。
私は節目節目で結果を出すことが多いため、よく「持っている」と言われます。しかし私の中に「運」や「持っている」という言葉は存在しません。自分に何ができるかを分析してやるべきことをやり、結果を「引き寄せている」だけなのです。毎日、自問自答しながら練習を全力でやってきた自負があります。選手生活の中で、自分でも信じられない奇跡的なことが何回も起きました、それこそが自分自身で引き寄せた結果なのです。
これは、誰でもできることです。「運」や「持っている」のではなく、自分自身で結果を「引き寄せる」ことができるのです。
サポーターの声に応えて「引き寄せた」有終の美
その後、移籍した横浜FCでやり切って引退しようと実は思っていました。なので当時JFLの松本山雅FCから声が掛かった時一旦は断りましたが、どうしても来てほしいということで移籍を決断しました。しかし山雅は松田直樹選手が亡くなった直後で簡単なチーム状況ではありませんでしたし、チーム全体の「気持ち」も足りませんでした。大きなプレッシャーもありました。
そんな中、私を支えてくれたのは多くのサポーターで、その声に応えたいとがむしゃらにプレーしました。この年のJ2への昇格は、まさにサポーターの「頑張り」と「気持ち」に後押しされた結果です。
熱いサポーターに支えられて、山雅はJ1昇格を果たしました。私自身は最後のホームゲームで選手の皆に胴上げをされ、J1昇格パレードでサッカー選手としての仕事を締めくくるという、とても幸せな選手生活を送ることができました。これも前向きな気持ちで日々全力で取り組んでいたからこそ、有終の美を「引き寄せた」。ちょっとしたご褒美だったのかもしれません。
皆さまのメンタルを支えていきます
私は苦しい時にこそ、ポジティブに楽しんで前に進んできました。そうすることで人生が楽しくなり、良い方向へと進めることを知っているからです。この「どんな時でも前向きに楽しむこと」、そのように気持ちを切り替えて持ち続けることは、サッカーだけではなく普段の生活やビジネスなどにおいても大切です。気持ちの上手な切り替えは、私だからできるわけではないのです。誰もが持っている「心」と「気持ち」は、それをコントロールさえできるようになれば、人生においてとても大きな意味を持ちます。そしてそれは誰でも簡単にできることなのです。
苦しい時をどのように乗り越えていったらよいか、どうメンタルコントロールをすれば良いかを皆さまにお伝えします。そして、私が今まで出会った人たちに背中を押していただいたり支えていただいたように、今度は私が皆さまのメンタルを支えていけたらと考えています。